直ぐにやめるつもりで入った
札幌中央区のエステティックサロンには
ちょうど2年勤めました。
OL時代と比べて
給料半分、時間は倍
と、当時の夫にバカにされつつも
「自分に合った好きな仕事をしている」
「求められている」
「自分ならやれる」
そんな充実感がありました。
*スタッフの顔ぶれはめまぐるしく変わりました。 (これはニセコでの一枚)
「高い、しつこい、高額ローン」というイメージは
今振り返ればほぼ現実でした。
でも、その真っ只中にいる時はとにかく無我夢中
目標と言う名の厳しいノルマも
OL時代の友人や先輩たちが通ってくれたお陰で
とても助けられ、売上げも上がるようになっていました。
このサロンには先生と言う立場の人はいなかったので
エステティシャン一人一人が
もっと知識を持たなくてはダメと感じて
日中の空いた時間に勉強会をすることを提案。
皮膚のこと、
シミ、ニキビのこと
季節のトラブル
敬語の使い方
手紙の書き方
化粧品の成分 など
来てくれているお客様からの信頼をもらう為に
必要な勉強会を定期的にしました。
売るためのトークではなく、説明するためのトークを練習しました。
バースデーカードを書くようにしました。
お客様からの紹介も増えて売上げも安定しました。
会社では徐々に優遇されることになり
「美容課長」という役職を新設され管理者に。
制服も白衣ではなくスーツにしよう
ということになり、
ややうろたえながらも私自身張り切っていました。
そんな時、初めての妊娠。
仕事を辞める意思は全くなかったけれど
「それならもう無理だから」
と、一瞬で自己都合と言う名の解雇が決まり、
一週間後
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流産。
仕事も子供もなくしたのでした。
つづく